1 高校から漫画専門学校へ
奇跡的に高校入学は出来たんですが案の定授業に全くついて行けないのなんのって、部活もたった一日で辞めたテニス部の後、一回で行くのやめたコンピュター無線部と続かず。
友達が入ったので俺も何となくって陸上部に入ったら花形の短距離走ではなく、槍投げの競技に回されましてですね。
県大会出たものの見事最下位!それもダントツの!でも参加者が8人しかいなかったので最下位でも県大会ベスト8!それを未だにネタにしてます。
そんな訳でその陸上部も一年かそこらで辞め帰宅部に。
勉強も嫌い、田舎で遊ぶとこもねぇ、時間がたっぷりあった僕は。帰宅してはゲームと漫画にどっぷりハマっていきました。
毎日帰宅後古本屋寄っては大量の漫画を買い、眠るまで漫画を読み次の日も漫画を買いに行く。
未だにあの時期はなんて幸せな日々だったと思うのですよ。(おかげで女子と関わるという青春の思い出は皆無ですが・・)
そして気がつくと高校3年の夏!進路どうすんねんと!?
はい・・ええ・・全く考えておりませんでした!(笑)
当然のこと大学受験なんてしたくねぇ〜とはいえ働きたくね〜どうする?どうする?
うん!漫画好きだから漫画の専門学校行く!試験ないし!
っという舐めきったノリで入りました(笑)しかもなるべく遊びたいから3年生の。
2 卒業そしてプータローの日々
この専門学校時代の話は細かく書くといろいろあるんですが、結論から言うとほぼ漫画描かずダラダラしてました! こうやって振り返ってるとダメ人間もいいとこですね僕(汗) 気がつくと3年なんてあっちゅう間。就職活動なんてしませんから、次の日からぷー太郎です。 当然バイトしてたんですが、この先俺大丈夫か!ってだんだん焦って来ますし実家にも何だか悪いし。その時初めて人生で漫画描いて投稿するのですよ(笑)この時21歳。 いやっ!専門学校時代の3年間で描かんかい!って怒られそうですが(汗) その場にならないと焦らない人間でして。 そんなこんなで初めて描いた漫画はストーリー漫画でして、小学館の週刊スピリッツかな?に投稿したんです。高橋留美子先生の『めぞん一刻』が超超好きだったのと浦沢直樹先生の連載が載ってたって理由で。 しかしですね、そんなダメダメな奴がなんとまぁ、奨励賞貰いまして!!(その時下から2番目の賞だったかな?賞金5万円ぐらい) 超テンション上がってたんですが、1回編集部から「賞取りました、また担当編集部から電話します」の連絡かかったきた以降2度と連絡なく(笑)かつ賞金も振り込まれず。 今から考えたらこちらからかけるべきだったんですがその当時はそういうもんなんだってバカみたいに大人しく待ってました(笑) 半年ぐらい経ってコレは完全忘れられてるなと、まそれはともかく人生2度目のストーリー漫画で投稿。 コレがなんと奇跡奇跡!スピリッツ賞佳作!その月の一番良い賞だったかな、確か賞金10万円! 流石に担当編集者さんが付いて、ちゃんと賞金も貰えました。そして高校の卒業旅行以来の東京!編集者さんとの初顔合わせ! そこからはこの担当編集者さんに毎回ネームをFAXで送って打ち合わせするんですが・・・まぁそう簡単に行くわけが無く。 ・・・ってことで続きます(汗) こんなに長くなるとは思ってなかったんですよ〜(涙)
3 初投稿から受賞へ
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