はじめまして、漫画家アシスタント歴17年のハルマキともうします。僕はこのマンガ業界にいた17年間で9本の読み切り作品を載せてもらいました。




1年で3本載ることもあれば、紆余曲折あって1本の読み切り描くのに5年かかったのもあります(笑)連載を目指す方なら誰もが通る「一体俺は何が描きたいんだろう?」「漫画なんてもういいや」の苦悩は当然味わってきました。





今回からはそんな僕がどんな読み切りを描いてきて、悩みどんな変化をして行ったかを紹介していきたいと思います。





「ハルマキ」 2004年 週刊少年サンデー 





ハルマキ画像

江戸時代お金持ちのお嬢様が1人で外に出るのは危険だということで、バイトで雇った忍者を連れてくけどコイツがとにかく馬鹿みたいな忍者で・・・




ギャグ漫画で賞をいただき、その次に描いた作品が急遽サンデー本誌に載ることになった僕のデビュー作です。小説家の山田風太郎先生が好きで忍者って題材はいまだにワクワクします。





ちなみにこのブログの「ハルマキ」って名前アイコンキャラはこの作品から来てます。





「平成エイリアン任侠伝 ケン」 2005年 少年サンデー超(スーパー) 





エイリアンケン画像

宇宙人の存在を信じない平凡な高校生の前に、ヤクザに憧れてる宇宙人が現れる




とにかくキャラクターはギャップが重要なので、宇宙人なのに任侠ヤクザに憧れてるキャラを作って見た目はなるべく可愛くしようと努力してました(笑)





少年サンデー超ってのは当時サンデーの増刊で新人の読み切りが多く載ってた雑誌で、現在はサンデーS増刊という名になってます。





「マミーの恋」 2006年  少年サンデー超





マミーの恋画像

舞台マミーの恋、マミー役のオーディション最終審査に残ったのはたった2人。演技に自信のある吉永さゆ、しかしもう1人はロボットだった・・




なんで描いたのかいまだに覚えてません・・・





名作「ガラスの仮面」にハマるのはここから10年も後ですし(笑)





「球魔がゆく‼︎」 2006年 少年サンデー超





球魔がいく画像

野球が上手くなりたい「もい子」は女性だからというだけで周囲から舐められていた。そんなある日河原で素振りをしているとヤンキーに絡まれてる男の子が。彼の名は「球魔」魔界から人間界へ魔界野球を広めにきた魔人だった。




野球好きなのに真剣な野球漫画を描かずにギャグにしてました(笑)





「改造ベイビィ とみよし」 2007年 少年サンデー超





とみよし画像

200X年 日本は突如現れた悪の組織アクマク団によって平和を脅かされていた!そんなアクマク団にひとり立ち向かうヒーローが居た!その名も「とみよし」見た目は赤ちゃん!中身は48歳のおっさん!




昔から笑いの勉強のためにコント番組をよく見ていたんですが、「ダウンタウンのごっつええ感じ」が大好きで。





コントのシチュエーションでヒーローモノは作りやすくオッサンという属性はおもろいなと、もろに影響受けて描いた作品です(笑)





「雪音忍法帳」 2007年 少年サンデー超





雪音画像

優秀な忍者「京馬」は頭領からある城の密書を盗めと指令を与えられる。しかしタッグを組まされたもう1人の忍者がとにかく目立つことが目的の派手な忍者で・・・




相変わらずの忍者ものです。昔より画力が上がったので目線(ツッコミ)の忍者をなるべく真面目に誰もがイメージする忍者に描いて、ボケ忍者とのギャップを読者に分かりやすくしようと努めたのを覚えてます。





「プリティアサシン」 2007年 少年サンデー超





プリティアサシン画像

月夜野鼓太郎は一流の殺し屋だった。しかし彼は「とにかく可愛いものが好き」という誰にも言えない秘密があった。そんな彼の前に「ヒノキ」という可愛い子供が現れるが、実は鼓太郎を狙う殺し屋で・・・



殺し屋、可愛い物好きと相変わらずギャップを大事にした作品となってます。




この作品を最後に僕はギャグ漫画を描くのをやめました。


ギャグ期の終焉〜そして苦悩の時代へ





同じ様にギャグ漫画を描いてた新人にアンケートが勝てず、周りが連載を取っていく中でこのままでは頭打ちだ目線を変えようとなりました。同時にデビュー当時から僕を育ててくれた担当編集者さんが別の方に変わります。





ここから漫画家を目指すきっかけはなんだ?ともう一度自分を見つめ直し




高橋留美子先生のようなコメディ漫画を描こうと決意するのですが。





ここから僕の苦悩の日々が始まります・・・